和音の響き
Sちゃんは幼稚園の年長さん。 だいぶ音符が読めるようになり, 片手ずつ簡単なメロディーを弾く練習をしています。 ところがあるとき, 間違ってドとミの音を一緒に弾いてしまいました。 Sちゃんははっとして眼を見はり,顔を輝かせます。 彼女は和音の美しさに驚いたのです。
「`わおん' っていうんだよ。 もう少ししたら,こういうのもひくからね」
美しいものを美しいと思う感性は人から教えられるものではなく, Sちゃんの心の中に自然に育まれていたものです。 美しいものを美しいと思う感性をずっと持ち続けていたいですね。
「赤とんぼ」「ふるさと」「浜辺の歌」などの日本の歌をコーラスで聞くと, 美しいハーモニーが心に染みます。 さらに, バッハの受難曲やカンタータなどに含まれるコラールは, 「争うということのないバッハ」(鈴木優人氏)の安らかな世界に私たちを引き込みます。 コラールは, 旋律の美しさもさることながら, 4部のコーラスが作るハーモニーが大きな力をもっています。 人が声を合わせることにより, 暖かさを保ちつつ声の生々しさが抑えられ, これを調和的に重ねることにより, コーラスは世の中でもっとも美しい楽器になる --- と言いたくなります。
ところで, ドとミではなく, ドとレを同時に弾いたらどうでしょうか。 あまり心地よくないですね。 ドミやドミソの和音は澄んでいますが, ドレやドレソの和音は濁っています。 澄んだ和音を協和音といい, 濁った和音を不協和音といいます。 不協和音は緊張した感じや不安定な感じを与え, 不協和音から協和音に「解決」すると, 緊張から解放されてほっとする感じがします。 実際には協和音と不協和音の区別はあまり明確でないところがあるそうですが, この区別は意外なことに(?)数学に関係しています。
音の高さは, 弦が1秒間に何回振動するか, つまり「周波数」で決まります。 そして,ミの周波数はドの周波数の5/4倍で, 簡単な分数で表せますが, レの周波数はドの周波数の9/8倍であり, ちょっと複雑な分数(分母が大きい分数)になります。 つまり, 周波数の比が単純な分数になる和音は澄んだ感じがして, 複雑な分数になる和音は濁った感じがするということです。 (ピアノの調律では,ある理由で,上の説明とはほんの少し異なる周波数に合わせます。)
数学的に整ったものに人は美しさを感じるのでしょうか。 整ったものは理解しやすいので, たしかにそういうことはありそうです。 でも私たちはちょっとした歪みを美しいと感じることもありますから, 簡単に割り切るわけにもゆきません。 ベートーヴェンのピアノ曲には, ペダルを使って音を混ぜるよう指示されているところがありますし, ドビュッシーのピアノ曲では, 複雑な不協和音によって自然のありさまが美しく描写されていて, ドビュッシーが日本の文化に惹かれていたことがわかります。 実際日本には, 満月が少し欠けた十三夜を愛でる美意識がありますし, 利休がきれいに掃き清められた庭をよしとせず, 落ち葉を散らせたという逸話はよく知られています。
美しいとはどういうことなのかと考え始めると, 限りなくディープな世界に踏み込んでゆくことになりそうです。
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