クリスマスの季節

クリスマスの季節

我が家の一軒おいた隣の空地に若いご夫婦が家を新築し, 庭や敷地の周りをとてもきれいに整えていました。 ところがご主人の転勤で引っ越すことになり, その後ほどなくイタリア人の一家が入居してきました。 その一家は3世代の大所帯で, 開け放った窓から, 意味の分からない解放的な声が聞こえてきます。 あるとき夫が犬の散歩で近所を歩いているときその家の少年に出会ったので, 「ボンジョルノ!」と挨拶したら, 「え?イタリア語知っているの?」と日本語で言われたそうです。 何事も細かいことには拘らないという感じで, 庭も以前のように手入れされることがなくなりました。

季節は秋から冬になりクリスマスが近づいてきたころ, その家の庭に見慣れないものが置かれているのに気づきました。 それはごく小さい舞台のような作りで, 素朴な小屋の中に物語めいた衣装を着た何体かの人形がいて, 眠っている赤ちゃんを囲むようにしています。 赤ちゃんはきっと幼子イエス。 とすれば, そばにいるのは聖母マリアとヨゼフ, そして旅姿の3人の博士。 これは聖フランシスコにまで遡ると伝えられる習慣で, クリスマスの季節に飾られる 「クレッシェ」または「プレセペ」と呼ばれるもののようです。 このイタリアの一家は, もとの家主が戻ってくるまでの数年間, 毎年クリスマスの季節になると庭にクレッシェを飾って, 私たちの目を楽しませていました。

話は変わりますが, カナダの作家アリステア・マクラウドの短編『すべてのものに季節がある』に, ケープ・ブレトン島に住む一家のクリスマス・イヴの様子が描かれています。 ケープ・ブレトン島は 『赤毛のアン』の舞台であるプリンス・エドワード島の近くに位置しています。 たぶんマクラウド自身と思われる「私」は11歳, サンタクロースの正体について頭を悩ませています。 クリスマス・イヴの晩, 教会から帰って夕食をすませ寝る時間になります。 弟と妹は2階の寝室に行きますが, 今年はなぜか, 「私」は年上の家族と一緒に残るように父に言われます。 2階がすっかり静かになると, 長兄が箱を運んできました。 その箱には丁寧に包装された包みが入っており, 弟と妹への包みには「サンタクロースより」と書かれています。 でも,私のにはそれがありません。 その意味を悟った「私」は, 大人の世界に仲間入りしてここにいるという喪失の痛みを感じます。

サンタクロースはいるのですか?--- ひと昔前,子どもたちは新聞社に手紙を書いて, このように尋ねることがよくあったそうです。 たぶん「サンタクロースは目に見えなくてもいるのですよ」 という答えが多かったのではと思います。 近年ではフィンランドのロヴァニエミにあるサンタクロース村が有名になりました。 その村に行くと `サンタさん' が椅子に座っていて話をすることができるということですが, サンタクロース村は, 子どもたちの疑いを解こうとしているのか, それとも子どもたちを楽しませようとしているのか, どうなのでしょう。 夫は「サンタクロースがいるという証拠も,いないという証拠も,どちらの証拠もないのがいい」と言うのですが・・・。

子どもたちの疑問にどう答えたらいいのか?--- 大人たちはなかなか答えを出せないようです。

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