エオリアンハープ

エオリアンハープ

ショパンのエチュード作品25-1は「エオリアンハープ」と呼ばれていますが, この愛称はシューマンの評に基づいているのだそうです。

彼(ショパン)の演奏ぶりは, 風に鳴るというエオルスの琴があらゆる音階を奏でるところへ, 芸術家の手がありとあらゆる幻想的な装飾を織り込むので, 低い方の根音と柔らかに歌ってゆく高声部がたえず聞えてくるというところを想像すれば だいたい偲ばれるだろう。

これはショパン自身の演奏を聞いたシューマンの感想なのですが, 実は作品25-1だけではなく, このとき演奏された作品25の全体に向けられているようです。 しかしシューマンは作品25の中でもこの曲を「特筆すべき曲」とし, 練習曲というよりはむしろ詩であるといい, つぎつぎに打ちあがる波のような分散和音を貫いて驚嘆すべき旋律が聞こえると絶賛しています。 作品25-1こそ「エオリアンハープ」の名にふさわしいのではないでしょうか。

ところで「エオリアンハープ」というのは風を受けて弦が振動し音を発する楽器で, ギリシャ神話に出てくる風の神「アイオロス」に由来するとのこと。 「エオリアンハープ」という名の響きに想像がふくらみますが, ギリシャ神話に楽器そのものは出てこないようです。

ではショパン自身はこの曲をどのように見ていたのでしょうか。 彼はある弟子にこのように説明しています。

羊飼いの少年が, 近づく嵐を避けて, 安全な洞窟に逃げ込んだところを想像してごらんなさい。 遠くのほうでは雨や風が荒れ狂っていても, 羊飼いは心静かに草笛を吹き, 思いつくままにメロディーを奏でているのです。

この逸話がもとになって, 作品25-1は「牧童」と呼ばれることがあり, この名前で親しんだ方もおられると思います。 エオリアンハープと羊飼いの草笛 --- シューマンとショパンの表現の違いに興味をひかれます。

さてショパンは, 多くの聴衆が集まる演奏会場よりも, 少人数のサロンでの演奏を好んだと伝えられています。 彼はある弟子に

演奏会で,本当の音楽を聴けることは,けっしてありません。 芸術でもっとも美しいものを演奏会場で耳にすることは諦めるほかないのです

と語っています。

それにしてもショパン自身の演奏を聞く機会をもち, あまつさえ指導を受けられるとはなんという幸運! ショパンの優れた弟子の一人エミリエ・フォン・グレッチは, レッスンの場でのショパンの演奏について, こんな感想を残しています。

気高く凛として冴えわたる楽の音は, 繊細な優しさを内に秘めており, 耳を傾ける者を深い瞑想へと誘います。

ショパンの演奏を聴くことこそ最高のレッスンだったに違いありません。 エミリエによると, 彼は勘が鋭く, 演奏を聴いただけで考えていることを見抜いてしまうのだそうです。 ショパンが彼女に宛てた手紙には, 次のような一節があります。

人が聴いていることは忘れて, いつも自分の内なる音楽に耳を澄ますのです。 あなたは臆病で自信がないものだから自分を守ろうとしているのですよ。 私にはそれがわかる。 あなたは心の奥には別のものがあるのだけれど, なかなか外には表せないでいるんです。

ショパンが洗練された指導者だったことは何人もの人が伝えるところであり, 彼は, `感情と知性が結びついた生徒' にピアノを教えることに心からの喜びを感じていたと言います。

羊飼いの譬えはこのような親密なレッスンの中で語られたのでしょう。 彼の音楽を愛する人が集うサロンでピアノを奏でるショパンは, 心静かに草笛を吹く羊飼いのようだったのではないでしょうか。


引用は

● シューマン『音楽と音楽家』吉田秀和訳
● エーゲルディンゲル『弟子から見たショパン』米谷治郎,中島弘二訳

からのものです。